『ゼルダの伝説 ブレスオブ ザ ワイルド』は普通のオープンワールドなのか問題、ゲンロン8に寄せて
株式会社ゲンロンが発行した批評誌「ゲンロン8」の共同討議の内容が、ゲーム業界関係者やゲームユーザーの間で話題となっている。
その中でも、特に話題となっているものの一つが、『ゼルダの伝説 ブレスオブ ザ ワイルド(以下、BotW)』についての以下のやり取りだ。
黒瀬 N64で『スーパーマリオ64』を出したときと基本の構えは変わっていないわけですね。最新作の『ゼルダの伝説 ブレスオブ ザ ワイルド』(任天堂、十七年、以下『BOW』)も同じでしょう。要は、トップレベルの海外オープンワールドゲームを遊びやすく作り変えたものを日本で売った。
さやわか とはいえ、それが日本では単純に「任天堂すごい」になっている
黒瀬 それは日本だけでもなくて、そこにねじれを感じています。全世界のゲームメディアが選ぶ「The Game Awards」という賞がありますが、十七年度は『BOW』がGame of the Yearを獲った。(中略)でも実際のところ『BOW』はふつうのオープンワールドゲームですよ。
出典:株式会社ゲンロン「ゲンロン8 共同討議『メディアミックスからパチンコへーー日本ゲーム盛衰史1991-2018』 」P068~069
この発言に関して、以下のようにゲーム業界関係者から反論が寄せられている。
類似作、先行作があるとはいえ、それらを参照しつつも、別の面白さを提供し、パーツ単位では既視感のある要素を一つのコンセプトに沿ってまとめ上げることで『BotW』は既に出尽くした感すらあるオープンワールドシーンにかなり大きめの一石を投じることが出来たのではないかと私は考えています。同年に出た『Horizon Zero Dawn』や『Assasin`s creed ORIGINS』のようなオープンワールドの傑作群と比較しても質的な違いは際立っていたのではないでしょうか。
わかりやすく説明すると、マップを歩くだけで、「気になるもの」が視界に飛び込むように緻密に計算されていて、それを追いかけていくことで広大なマップを走破したくなるという仕組みなんですよ。これが、とんでもなく革新的なんです。
ここに気付くと、気になったところに向かってみるというモチベーションを軸にしてゲームそのものが設計されていて、その行動が無駄足だったと感じさせないためにこそ、ワールド内に数百ものコログが隠れていることにも気づくでしょうし、マップの端には視点を誘導する地形が置きづらく、端まで走破するモチベーションが起きにくくなるため、そこに「ゼルダ」シリーズではお馴染みではないドラゴンを回遊させ、それを追いかけたくなるというモチベーションを発生させていることにも気づき、とことん緻密な設計に舌を巻くことになるんですよ。
こんな設計をしたゲームは、たぶん過去に例がなく、だからこそ全世界が絶賛し、驚愕したんです。
では、この記事の本題に入るとしよう。
それは『BotW』は普通のオープンワールドなのだろうか、という事だ。
筆者は違うと考えている。
だが、その理由は、冒頭に載せたゲーム関係者たちによる反論とは大きく異なる。
そもそも、『BotW』が普通のオープンワールドではないと言いたいなら、まずは「オープンワールドとは何か」という定義を考える必要があるのではないだろうか。
その定義がなければ、『BotW』がどのように普通のオープンワールドと違うのか判断する事ができない。
そのため、上記のゲーム業界関係者の反論記事は、ゲームへの深い愛情やゲームデザインに対する鋭い洞察力を感じるものの、オープンワールドについて定義しておらず、残念ながら反論として不十分だと筆者は考えている。
※『ゲンロン8』の共同討議においても、オープンワールドの定義付けはされていない
まず定義付けを行い、それと『BotW』を比較する事で初めて違いが見いだせ、ジャンルの定義自体を拡張・書き換えするような革新的な作品であると証明できるだろう。
例えば、アクションゲームは「武器や能力を使って、敵をどんどん倒していく爽快さを売りにした」ジャンルだと思われていたが、『メタルギア』は「敵から見つからないように隠れながら進む緊張感を売りにした」作品であり、ステルスアクションという新たなジャンルを生み出した、といった具合である。
筆者は『BotW』に対して、このような証明を試みたいと思う。
まずはオープンワールドの定義からだ。一口にオープンワールドと言っても、様々な作品がある。主要なタイトルをいくつか挙げるだけでも、以下のような形だ。
■『Grand Theft Auto』シリーズ:現代のアメリカを舞台にして、殺人や車両窃盗など主に犯罪行為を行うクライムアクション
■『The Elder Scrolls』:架空のファンタジー世界を舞台にして、剣や魔法などで戦うアクションRPG
■『ASSASSIN'S CREED』シリーズ:過去の世界中の地域を舞台にして、様々な武器で暗殺を行うステルスアクション
こういった、多種多様な作品群を包括的に説明するには、かなり曖昧で抽象的な定義になるのではないだろうか。
実際、wikipediaのオープンワールドという項目(2018年7月1日時点)には、
「オープンワールド(Open World)とは、英語におけるコンピュータゲーム用語で、舞台となる広大な世界を自由に動き回って探索・攻略できるように設計されたレベルデザインを指す言葉である」と記載されている。
いささか抽象的だが、オープンワールドと名指しされる作品群の特徴をよく捉えているように思える。ただ、この定義でいえば、『BotW』は「普通のオープンワールド」だろう。何ら定義を逸脱する部分や、拡張する部分はないように思われる。
では、もう少し具体的な定義をしているものを参照してみよう。
『BotW』発売前の『週刊 ファミ通 2015年5月28号』の特集「オープンワールドゲームの系譜」では、以下のように定義付けが行われている。
【本特集におけるオープンワールドゲームの定義 その1】
●空間内で自由な移動や行動が可能【本特集におけるオープンワールドゲームの定義 その2】
●目的を達成する手段はユーザーの手に委ねられる【本特集におけるオープンワールドゲームの定義 その3】
●その世界に“生きている”感覚をユーザーにもたらす
先ほどwikipediaに記載されていたものよりも、いくつか要素が多くなっている。
しかし、こちらの定義でも『BotW』はすっぽりと内側に収まってしまうのではないだろうか。
例えば、『BotW』の評価点として最も頻繁に挙げられていると思われる壁登りは、「定義 その1●空間内で自由な移動や行動可能」の洗練であり、メインストーリーの進行に関わる4体の神獣をどの順番で倒せる事も、この定義1に含まれるだろう。
また、「定義 その2●目的を達成する手段はユーザーの手に委ねられる」は、化学エンジンと物理エンジンの組み合わせによって、敵の攻略方法が色々あったり、試練の祠にいくつもクリア方法があったりする事に該当するだろう。
最後の「定義 その3●その世界に“生きている”感覚をユーザーにもたらす」に至って言えば、「ブレスオブ ザ ワイルド」というタイトルから推察できる『BotW』のコンセプト(野生の息吹を感じる)そのものではないだろうか。
もちろん、定義に当てはまるからといって、それが凡庸さを表す訳ではない。例えば、冒頭のゲーム関係者の記事や、任天堂自身が以下の記事でも語っているように、「定義 その1●空間内で自由な移動や行動可能」の弊害ともいえる「悪い意味で体験がバラバラ」(※)に対して、『BotW』は様々な工夫を凝らしている。
※任天堂・藤林氏の以下の同記事内発言
ゼルダの伝説BotWはオープンワールド――“任天堂語”では「オープンエア」――タイプのゲームということもあり,プレイヤーは自らの自由意思でマップ内を動き回り,探索を進めることができる。しかし「ゲームのシナリオ」の都合もあるので,プレイヤーの行動の誘導はある程度行いたいというのも,開発者側の立場としては存在する。
(中略)
最終的に開発チームは,プレイヤー視点から見える「情景の三角シルエット効果」に対し,3つの役割を想定してレベルデザインを行うことに決めたのだそうだ。
大きな三角形は,山や山脈といった大規模な地形として設定する。かなり遠くからも見える「ランドマーク」的な役割を与えたという。
中くらいの三角形には,ある地点地点からさらに遠方の情景や施設,自然物を隠す「遮蔽」としての役割を与えた。
最後に小サイズの三角形は近距離を遮蔽するくらいの岩や起伏がメインで,こちらは局所的な探索を促すような,ゲームの「テンポ」を司る役割を与えている。出典:[CEDEC 2017]「ゼルダの伝説BotW」の完璧なゲーム世界は,任天堂の開発スタイルが変わったからこそ生まれた - 4Gamer.net
ただ、『BotW』ほど綿密ではないかもしれないが、プレイヤーの行動を誘導するために高い塔を設置(アサシンクリードやファークライ)したり、遮蔽物を置いて移動をコントロールしたり(FalloutやThe Elder Scrolls)と、先行のオープンワールドでも同様の工夫はある。
■アサシンクリード ユニティ(画面真ん中にあるのがビューポイントと呼ばれる塔)
出典: ユービーアイソフト株式会社
■Fallout New Vegas(巨大な岩による分岐)
出典:ベセスダ・ソフトワークス
ここまで、オープンワールドの定義をいくつか参照してみたが、このままでは『BotW』は普通のオープンワールドを洗練させたもの、という結論になってしまいそうだ。
実際、『BotW』の評価点としてゲームメディアでよく挙げられるポイントは、『ゲンロン8』刊行記念の配信における黒瀬陽平氏の下記発言のように、オープンワールドの魅力をさらに洗練させたり、オープンワールドが発展してきた事で顕在化した問題の解決をしたりと、オープンワールドというジャンルありきの達成に見える。
■配信時間:1時間56分40秒ごろから ※()内は筆者の補足
黒瀬 そうすると、僕から見るとゼルダの語りっていうのは、ジャンル内問題に収束していく印象が強いんですよ。つまり、3Dゲームがありますと、でオープンワールドがありますと。そこで自由度の問題とかが今問題になってますと、ジャンル固有の問題として。じゃあ、視点どうするのか、ストーリーテリングどうするのか。
そこでこんな画期的な、例えば化学エンジンと物理エンジンを組み合わせましたとか、ウツシエによるストーリーテリングがありますとか、全部(壁を)登れますとかいう事で自由度の問題やその視線誘導の問題っていうものが、こんなにジャンル内の厄介だった問題が解決していきますっていうような話がすごい多いんですよね。
出典:株式会社ゲンロン「黒瀬陽平×さやわか×松下哲也「ゲーム、美術、キャラクター!ーー『ゲンロン8 ゲームの時代』刊行記念イベント」【四天王シリーズ #2】
※書き起こしは筆者の非公式なもののため、書き間違いを含む可能性があります
筆者は『BotW』は普通のオープンワールドとは「違うと考えている」と表明した。
しかし、一般的にオープンワールドの特徴と思われるポイントからは、大きな違いを見出す事ができない。
では、どこが違うと筆者は考えているのだろうか。
ここで、少し視点を変えてみよう。
そもそも、「ゲーム」の特徴とは何だろうか。一般的によく言われているのは、インタラクティブ(双方向的)なメディアである、という事ではないだろうか?
例えば、プレイステーションを開発・販売しているSIEは、ソニー・インタラクティブエンタテインメントの略だ。また、ゲンロン8の執筆陣の一人であるさやわか氏は、2012年の著作「僕たちのゲーム史」で、ゲームとは「ボタンを押すと反応する」ものだと定義している。
出典:星海社新書 さやわか著「僕たちのゲーム史」(P10)
インタラクティブ、あるいはボタンを押す事で反応するという事は、旧来の映画や小説などといったメディアと違い、送り手と受け手が一方通行ではない。受け手と送り手が双方向的にやり取りを行い、両者の中間に起きる相互作用こそがゲームという体験だ。
つまり、ゲームについて分析する際、送り手ばかりに注目していては、ゲームの本質を見落としてしまう。受け手の側、ゲームをプレイする側に関しても、分析を行う必要がある。この視点が、冒頭のゲーム関係者たちの記事やゲンロン8の共同討議の『BotW』評にも欠けている。
では、受け手側=ゲームのプレイヤーに関して分析をしていこう。
ゲーム研究者のリチャード・バートル氏が、1996年に発表したある記事(※)によると、オンラインゲームのプレイヤーは4種類に大きく分けられるという。
それは、「アチーバー」「エクスプローラー」「ソーシャライザー」「キラー」だ。
※出典:Richard A. Bartle: Players Who Suit MUDs
詳しく見ていこう。
ソーシャルゲームのマーケティング戦略の一環として、バートルテストを取り上げている「ソーシャルゲームはなぜハマるのか」では、この4種類に関して、以下のようにそれぞれ定義している。
アチーバー(Achiever)は、日本語にすると「達成家」となります。
ゲームの世界に対し、自らが中心となるような関わり方を好むプレイヤーのことを指しています。具体的にはレベルを上げること、装備を強くすることやアイテム収集をコンプリートさせることなどへの関心が強いタイプで、達成意欲の高いプレイヤーと言えます。
エクスプローラー(Explorer)は、日本語にすると「探検家」となります。ゲームの世界と相互的に関わることを好むプレイヤーのことを指します。新しい世界を開拓したり、隠し場所を発見するなど、冒険そのものを楽しむ好奇心の強いプレイヤーと言えます。レベルを上げることやアイテムを収集することへの関心はそれほど強くありませんが、そこに新しさや発見が伴っていることも多いため、しばしばアチーバーと似て見えることもあります。
ソーシャライザー(Socilizer)を日本語にするならば、「社交家」という言葉が意味合いとして近いでしょう。ゲームの中で、ほかのプレイヤーと相互に関わることを好むプレイヤーのことを指します。ゲーム自体というよりはその社交的な側面、例えばプレイヤー同士でコミュニケーションを取ることや一緒に協力をしながら何かをすることを楽しみます。
キラー(Killer)は、「プレイヤーキラー」と言い換えてもいいでしょう。ほかのプレイヤーに対し、自分が中心となるようなかかわり方を好むプレイヤーのことを指します。競争心が強く、典型的には他のプレイヤーを攻撃するなどの行動を通じて、自身が優越していることを示すことを楽しみます。
出典:SBクリエイティブ ソーシャルゲームはなぜハマるのか ゲーミフィケーションが変える顧客満足 著:深田浩嗣
さて、バートルテストの4分類について詳しくなったところで、オープンワールドを好むプレイヤーはこの4種類のうちのどのタイプなのか考えていきたい。
補足として、バートルテストはプレイヤーをどれか1つにきっちり分類するのではなく、4分類のどの傾向がどれくらい強いのかを確かめるテストだ。
※例えば、筆者は下記のサイトの計測では、エクスプローラーが100%、アチーバーとソーシャライザーが20%で、キラーは0%という結果となった
あらだかノート: 【プレイヤータイプ診断】バートルテスト(javascript製、日本語にコピってみた)
消去法で考えていくと、まず消す事が出来るのは、ソーシャライザーとキラーだろう。
ソーシャライザーであれば、オープンワールドよりもMMORPGなどのオンラインゲームを好むだろう(※)。また、キラーであれば格闘ゲームのような対戦型ゲームを選びそうだ。
※最近はオープンワールド作品もオンラインゲーム化が進んでいるが、MMORPGに比べれば人数は小規模
では、残りの「アチーバー」と「エクスプローラー」のうち、どれだろうか。
アチーバーはレベル上げにまい進したり、実績解除といった目に見える目標が大好きだ。つまり、コツコツと作業して確実に成長するのが好きなタイプといえる。
すると、自由に行動して攻略が可能なオープンワールドよりも、リニア(一直線)なRPGであったり、収集や育成要素が強いゲーム(パワプロやポケモン)や、すきま時間で遊ぶソーシャルゲームといったジャンルの方が、相性としては良いだろう。
となれば、残りはエクスプローラーだ。
エクスプローラーは、その名の通り冒険者的な資質のプレイヤーである。未知の発見や知識が大好きで、好奇心が強いタイプだ。これは確かに、広大なフィールドを自由に行動して攻略が可能なオープンワールドに対して、とても相性が良いだろう。
もちろん、オープンワールド作品は自由度が高いとよく言われるように、様々なプレイスタイルで遊べるため、エクスプローラー以外にも好まれる要素を多分に含むタイトルも多いだろう。ただ、それらの多様なゲームの側面を、自分の興味の赴くままに味わえるという構造自体がエクスプローラー的だと言いたいのだ。
さて、ここにきてようやく、筆者はオープンワールドを定義付ける事が出来そうだ。
それは、「オープンワールドは、エクスプローラー向けのゲームである」だ。
これが筆者のオープンワールドの定義だ。
果たして、この定義は妥当といえるのだろうか。
再び、『週刊 ファミ通 2015年5月28号』の特集「オープンワールドゲームの系譜」におけるオープンワールドの定義を見てみよう。
【本特集におけるオープンワールドゲームの定義 その1】
●空間内で自由な移動や行動が可能【本特集におけるオープンワールドゲームの定義 その2】
●目的を達成する手段はユーザーの手に委ねられる【本特集におけるオープンワールドゲームの定義 その3】
●その世界に“生きている”感覚をユーザーにもたらす
これをプレイヤー側の視点にひっくり返してみよう。
「定義 その1」は、色々な場所に行ってみたい。
「定義 その2」は、自分の好きな方法でゲームを進めたい。
「定義 その3」は、ゲームの中で生きているかのように過ごしたい。
どれも、エクスプローラーの特徴のように見えないだろうか?
まだ疑問に思う方のために、今度は送り手の側、実際にオープンワールドを作っているゲームクリエイターの発言を参照してみよう。
初めてオープンワールドというジャンル名を用いたことでも知られる『Grand Theft Auto』シリーズ、そのプロデューサーを務めたこともあるRocstar社の副社長ダン・ハウザー氏は、2012年のインタビューで下記のように語っている。
プレイヤーがゲームで許されるのは、ジャンプしたり撃ったりすることだけだった。そうではなくて、ゲームの世界にただ存在することが許される作品……クルマに乗ってあちこちをドライブする、ビーチをただ散歩して眺める、音楽を聴くなど、現実の世界と同じように、“ただ、そこにいること”が可能なゲームを作りたかったんだよ。その点では、音楽が重要な役割を果たしてくれたと思う。
出典:ファミ通.com「永久保存版: ロックスター・ゲームスのキーマン、ダン・ハウザーインタビュー(中編)」
彼は、「ただ、そこにいること」それだけで楽しめるゲームを作りたかったと語っている。これは、明確な目標を求めるアチーバーや、社交家のソーシャライザー、敵を屈服させる事が好きなキラー、この3タイプのゲーマーの志向とは噛み合わない。ゲームのストーリーや世界観を深く理解して味わう、まさにエクスプローラー的な志向といえるだろう。
さらに、ダン・ハウザーは同インタビューで以下のように発言している。
――通常の発想では、HDでゲームを作る場合は、グラフィックを極限まで美しく再現することに心血を注ぐものですが、『グランド・セフト・オートⅣ』で目指したのは、リバティーシティの汚い街並み、道路のツギハギやゴミ捨て場、ファーストフード店の中の残飯などを細かく再現する方向ですよね?
ダン それが、『グランド・セフト・オートⅣ』でリード・デザイナーを務めたアーロンの天才的な才能なんだ。彼はビルを美しく見せるのではなく、汚すことでよりリアルに見せた。彼は汚すことに、とても時間を掛けるんだ(笑)。それと同じように、登場人物も英雄的な人物ではなく、ある面は人間臭く、ある面は愚かな性格にしているんだ。――HDは限界知らずの作り込みが可能ですが、そこでロックスターがやったことは、風景やクルマを美しくするだけでなく、“人間らしさ”を極限まで表現することに心血を注いでいたように思えます。
ダン まったくその通りだ。ゲームの登場人物を、本当に生きているように感じてもらいたいんだよ。リアリズムを追求しているとは思わないが、リアリティを歪んだプリズムで見るような感じだね(笑)。現実的な質感があっても、登場人物の感情が捻じれている。キャラクターの感情がデフォルメされていても、どこか信じられる部分があること、プレイヤーにその匂いを感じ取ってもらいたいし、同時に汚い部分……人間らしい愚かな部分があると感じてほしいんだ。出典:ファミ通.com「永久保存版: ロックスター・ゲームスのキーマン、ダン・ハウザーインタビュー(後編)」
『GTA』シリーズは、「ビルを美しく見せるのではなく、汚すことでよりリアルに見せた」。そして、ゲームの登場人物を「汚い部分を、人間らしい部分だと感じてほしい」と言っている。
そして、それは「リアリティを歪んだプリズムで見る」事だという。つまり、ゲームを鏡にして我々の世界の真実を映し出すという訳だ。
『GTA』シリーズといえば、粗野で暴力的で豪快さを信条としているような、ステレオタイプな洋ゲーのイメージの源泉ともいえそうだが、その裏にはこのような確固たる世界観に裏打ちされている。それはつまり、深く味わうに値するゲームという事だ。
続いては、Rockstar社の『GTA』シリーズと並んで、『The Elder Scrolls』シリーズや『Fallout』シリーズといったAAA級オープンワールド作品を輩出しているベセスダ・ソフトワークス社を参照しよう。
同社のゲームデザイナーであるトッド・ハワード氏は、2015年のE3で『Fallout4』について発表した際に、以下のように発言している。
※()内は筆者の補足
(PS4とXbox Oneでの開発について)進化したグラフィックスには満足している。ディテールをよりダイナミックに表現できるメモリも必要で、広大なオープンワールドではローディングの速さが重要となる。自由に何かを動かすことで環境に何らかの作用を及ぼせるし、いろいろなものを集めて、自分だけのものを作れるようになった。これで、世界でひとり静かにたたずんでいると、実際にそこにいるかのような不思議な感覚を味わえるだろう
出典:ファミ通.com 『フォールアウト4』のさらなる詳細をトッド・ハワード氏が語った! トークイベントの模様をお届け【E3 2015】
「世界でひとり静かにたたずんでいると、実際にそこにいるかのような不思議な感覚を味わえるだろう」、まさにこれはエクスプローラー向けの発言に見える。
アチーバーやソーシャライザーやキラーの傾向が強いプレイヤーは、これの何が楽しいの? と言い出しそうだ。
また、トッド・ハワードは『The Elder Scrolls』シリーズの哲学について、「Live another life, in another world(もう一つの世界で、もう一つの人生を送る)」だと述べた。この発言にも、世界を味わうエクスプローラー向けの姿勢が見えるだろう。
※『The Elder Scrolls』の公式サイトにて(ただし現在は閲覧不可のため、下記はアーカイヴ)
送り手の側、受け手の側、双方を見てきたが、オープンワールドはエクスプローラー向けのゲームだと確かに言えそうだ。では、筆者のオープンワールドの定義をそれなりに固めたところで、『BotW』と比較していこう。
『BotW』もエクスプローラー向けなのだろうか?
筆者は、違うと考えている。
では、バートルテストの4分類だと何に当たるのか?
それは、アチーバーだ。
ここで、冒頭の記事を再び参照しよう。
アチーバーは、「レベルを上げること、装備を強くすることやアイテム収集をコンプリートさせること」など、目に見える目標を達成するのが大好きなプレイヤーだ。
まさにこの特徴を、『BotW』は突いている。
わかりやすく説明すると、マップを歩くだけで、「気になるもの」が視界に飛び込むように緻密に計算されていて、それを追いかけていくことで広大なマップを走破したくなるという仕組みなんですよ。これが、とんでもなく革新的なんです。
ここに気付くと、気になったところに向かってみるというモチベーションを軸にしてゲームそのものが設計されていて、その行動が無駄足だったと感じさせないためにこそ、ワールド内に数百ものコログが隠れていることにも気づくでしょうし、マップの端には視点を誘導する地形が置きづらく、端まで走破するモチベーションが起きにくくなるため、そこに「ゼルダ」シリーズではお馴染みではないドラゴンを回遊させ、それを追いかけたくなるというモチベーションを発生させていることにも気づき、とことん緻密な設計に舌を巻くことになるんですよ。
具体的に言えば、『BotW』のフィールドには、試練の祠というミニダンジョンのようなものが120箇所、コログという小さな妖精が900個も配置されているが、二つとも報酬はゲームの内のステータスアップとなっている(※)。
※試練の祠は、クリアすると克服の証というアイテムが貰えて、ハート(HP)かがんばりゲージ(スタミナのようなもの)をアップさせることが出来る。コログの方は、コログの実というアイテムが貰え、こちらはアイテムの所持数を増やせる
■ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド(コログ)
出典:任天堂
試練の祠とコログはそれぞれ、最低限のゲーム内の立ち位置は説明されるが、それらを発見する事で『BotW』の世界観やストーリーの理解が深まるという事はほとんどない。
これらの要素は、フィールドに散りばめられたチェックポイントのような存在であり、そのため広大なフィールドを巡るのは、未知の発見を追い求める冒険というよりは、名所を巡るレジャーに近い感覚をプレイヤー体験として与える。
実際、『BotW』における数少ないストーリーの保管要素は、主人公であるリンクが、過去の記憶を取り戻すために、フィールド内を撮影した12枚の写真のようなものから、思い出の場所を探す事である。
その場所を訪れると、数分ほどのムービーが流れるが、順不同に見ても問題ないように断片的であり、これもあくまで最低限の保管といった印象が強い。
※すべて集めてラスボスを倒すと真EDが見られるため、エクスプローラー的な要素もあるにはある
■ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド(ウツシエの記憶)
出典:任天堂
一方、『ウィッチャー』シリーズや『The Elder Scrolls』シリーズや『Fallout』シリーズといったオープンワールド作品は、直接攻略とは関係ないが、世界観やストーリーを理解する手助けになる書籍やボイスログといったアイテムを大量に用意している。
■The Elder Scrolls V: Skyrim「アルゴニアンの侍女」
出典:ベセスダ・ソフトワークス
また、『BotW』は、マップ制作にあたって京都の街を参照(※1)したり、シーカーストーンや試練の祠といった重要なアイテムや建造物のデザインを縄文文明から参照(※2)している事が知られているが、そこに歴史や思想は反映されない。
※1
「広大なフィールドが舞台なので、それを成立させるために必要なフィールドが何キロ×何キロなのかも分からなかった」(藤林氏)。そのためにも、脳内に基礎となる物差しをしっかり持たないと始まらないと、いろいろな試みを行った。
距離感を得るために利用したのは京都地図。なぜかというと京都の地理であればよく知っているし、距離感が実感としてつかみやすいから。プレーヤーの移動性能も決めていたので、必要なサイズはどの程度なのかプランニングスタッフと歩き回ったそうだ。「ゲーム中にGoogleから取ってきたマップを貼り付けて、二条城にどれくらいあったらたどり着けるのか、御所から京都タワーがどれくらいの距離で見えるのか考えた」(藤林氏)。
※2
ゲーム中に登場する祠や古代文明を思わせる建築物の独特なデザインは、ゼルダの伝説の世界を特徴付ける大切な要素になっていますが、これらのデザインは日本の縄文文化からインスピレーションを受けデザインされています。
紋様などを見てみると、確かに縄文土器の装飾に影響を受けている感じはしますね。不思議な雰囲気、ミステリアスな感じを出したかった為、割と世界の人たちに知られていない文化のデザインを取り入れたのだそう。
出典:京都や縄文文化を参考?日本文化が宿るNintendo Switch「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」 | エンターテイメント - Japaaan
任天堂にとって現実の世界を参照する事は、あくまでアチーバー的なゲームとしての面白さを追求するためであり、その追及によって従来オープンワールドの弱点とされてきた点を克服し、『BotW』は数々のGOTYを獲得した。
この任天堂のゲーム作りへの姿勢は、Rockstar社のダン・ハウザーが「リアリティを歪んだプリズムで見る」ことで「人間らしい愚かな部分があると感じてほしいんだ」と言ったような、何らかの思想や世界観が入り込む気配はまるでなく、両者は真逆の存在のように見える。
実際、ダン・ハウザーは、オープンワールドを作ったきっかけそのものが、「従来のゲームでは、とても日本のゲーム会社に太刀打ちできない」からだとも発言している。
――その発想自体が、何かと制約の多いゲームビジネスの枠の中では生まれるものではないと思います。ある意味、現代アートを作る発想に近いのではないかと。
ダン その通りだね。これまでとは違う経験をプレイヤーに提供するのが、我々の目標なんだ。ゲームは多種多様でなければいけない。そして、オープンワールドを自由に探索するおもしろさは、まだ可能性を秘めている。『グランド・セフト・オートⅢ』から10年経った現在においても、我々は氷山の一角を削っただけに過ぎない。進化して、変化をくり返し、ここまで到達した……と思いたいね。最初のアイデアは、必要に迫られたところからスタートしている。オープンワールドやほかとは異なるテーマ、デザインのゲームを作り始めた理由のひとつは、従来のゲームでは、とても日本のゲーム会社に太刀打ちできないし、マーケティングも彼らほどうまくはできない。従って、自分たちの方法論でやるしかないと考えたからだよ。出典:ファミ通.com「永久保存版: ロックスター・ゲームスのキーマン、ダン・ハウザーインタビュー(中編)」
今までの内容を整理しよう。
Rockstar社は、日本的なゲームとは別の方向性(エクスプローラー向け)に舵を切り、「ただ、そこにいること」だけで楽しめるゲームを作ろうとして、オープンワールドというジャンルを生み出した。
だが任天堂は、オープンワールドを「『気になるもの』が視界に飛び込むように緻密に計算」してプレイヤーの行動を誘導し、立ち止まって世界を味わうのではなく、レジャーのようにチェックポイントを移動するアチーバー向けのゲームに作り変える事に成功した。
それこそが『BotW』であり、だから普通のオープンワールドではない。
これが筆者の結論である。
■余談
さて、ここからは余談だ。
直接ゲームとは関係ない内容であるため、ここまで読んでくれた方からすると、少し肩透かしを食らうかもしれない。だが、ここからが本当に筆者が書きたかった内容だ。
筆者が上記の結論に至って、思い出した本がある。それは、フランスの哲学者ロラン・バルトが1970年に発表した「表徴の帝国(※)」という本だ。
※記号の国、というタイトルで出版しているところもある(みすず書房「記号の国―1970 (ロラン・バルト著作集 7)」)
この本は、ロラン・バルトが1968年からフランス文化施設の一員として数度来日し、そこで見た日本の印象を、自らが研究していた記号論と結び付けて語っているものだ。
彼によると、「西欧の都市の中心はつねに《充実》して」いて、「中心へゆくこと、それは社会の《真理》に出会うことである」と述べている。一方、東京は「《いかにも都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である》(※)」と述べた。
出典:ちくま学芸文庫 表徴の帝国(P52~54) 著:ロラン・バルト 訳:宗左近
※東京の中心とは、皇居のことを指している
言い換えれば、西欧の都市は「意味」で充実しているが、東京は空虚な「記号」で充実している。これは、西欧のオープンワールド(GTA)と日本のオープンワールド(BotW)に、そのまま当てはまるのではないだろうか。
なんという事だろう。
筆者が2018年に書いた記事の根幹は、ロラン・バルトによって半世紀近く前に指摘されていたのだ。ロラン・バルトはフランス人で、日本からすると外部に所属する人間である。しかし、その外部に所属する人間が、日本の本質を当ててしまう……そういう事は、往々にしてあるのだ。
実際、筆者がこの記事でプレイヤーに注目しているのは、株式会社ゲンロンの社長であり、思想家でもある東浩紀氏が2007年に出した著作「ゲーム的リアリズムの誕生」に影響を受けた(※)からだ。
※ゲーム的リアリズムの誕生の「環境分析」的な読解を指している
たしかに、外部の人間は無知でがさつで失礼かもしれない。一方で、内部の本質を照らし出す光となるかもしれない。
ゲンロン8の件で憤っているゲーム関係者も多いかもしれないが、この記事で少しでも外部と内部をつなぐ事が出来たら幸いだ。